軽井沢茨木童子伝承 著 佐藤秀治氏
⇒越後 軽井沢区の茨木童子 を様々な観点からまとめた本(研究資料)。
このページでは 世間に知られているであろう 茨木童子の逸話(一部は歌舞伎の演目として今も演じられている)の部分のみを ピックアップしました。

【茨木童子 誕生日は 806年生まれ?】

(軽井沢茨木童子伝承 著 佐藤秀治より 抜粋)
(軽井沢茨木童子伝承 著 佐藤秀治より 抜粋)

伝承によると、大同元年(806年)に、童子は軽井沢に生まれたと言う。
(軽井沢茨木童子伝承 著 佐藤秀治より)

※この頃 日本の主な出来事↓
804年 → 最澄と空海が唐にわたる。
805年 → 最澄が天台宗を興す。
806年 → 桓武天皇が没し、第51代平城天皇が即位。
806年 → 空海が真言宗を興す。

茨木童子の生まれた年代は 最澄 空海 の時代?

※この頃 中世ヨーロッパでは↓
800年 → カール大帝がローマ教皇レオ3世から西ローマ皇帝の帝冠を授けられる

【茨木童子は 親が神社へ隠すほど の美男子?モテた?】

(ここから↓)
成長するにつれますます美しく、才気溢れ、腕力も他に比較する者もなかったという。
童子の美しさに言い寄る女性は数知れず、恋文・投げ文のたぐいは絶えることがなかった。
そこで、童子の行く末を案じた両親は寺に相談し、
泣く泣く越後一宮・弥彦神社に稚児として上げることを決意した。
(軽井沢茨木童子伝承 著 佐藤秀治より ↑抜粋)

茨木童子はモテすぎて弥彦神社へ隠れるほど

【茨木童子が“鬼”になったきっかけ 「血塗りの恋文」を舐めた】

(ここから↓)
一時帰郷した童子は、生家の押し入れの中から母親が桑折に密かに隠していた
山のような恋文を探し出し、一気に読みふけった。
特に関心を引いたのは、「血塗りの恋文」であった。
それは童子に恋い焦がれたある女性の怨念が、恋文の文字を血潮に変えたものであったという。
何気なしにそれを指先につけて一舐めした童子は、たちまち身体の奥底から異様な活力が溢れ出て、自分でも押さえきれぬ大きな衝動に突き動かされ、
着ていた着物を自ら切り裂いた。その端麗な容姿はみるみる醜い鬼の形相と化し…
(軽井沢茨木童子伝承 著 佐藤秀治より ↑抜粋)

「血塗りの恋文」を舐めたのが⇒鬼 茨木童子の誕生?

【頼光四天王の筆頭 渡辺綱 が警戒していたにも関わらず 腕を取り戻した】

渡辺綱⇒ウィキペディア

今でも 歌舞伎 等の演目にもなっている有名な逸話(歌舞伎 「茨木」)。
茨木童子は渡辺綱に 源氏の名刀「髭切りの太刀」にて 腕を切り落とされる。
後に、茨木童子は其の腕を取り戻した。腕のあった渡辺綱 邸へは 女装(伯母に化けて)して まんまと渡辺綱を騙したとか…。

警戒する 四天王筆頭 渡辺綱 を 女装 という手段をもって まんまと騙した茨木童子。
男性が女性に化けて騙せるでしょうか?
そもそも茨木童子は女性だった?
人間の女装 ではなく⇒変身能力だった?