越後 軽井沢の茨木童子の里。
…神社(ご神体と賽銭箱と清水があった祠)も無くなり…漫画にも掲載された 鬼ぎり祭りも無くなり……看板一枚すらなくなった里。

……唯一、茨木童子の里に現存(2021年現在)するものといえば

 茨木童子の祠(いばらきどうじの ほこら)
下記↓ 動画は 2021年9月 撮影(撮影と公開の許可はいただいております)

【別の資料みつかる 2021 09 10】 掲載許可をいただきましたので 後日 公開いたします。
たとえば……厭忌…忌み嫌う?てきな 考えからだとしたら
→わざわざ 祠をつくるだろうか?
→小高い丘のような場所に設置するだろうか?
というような疑問があったのですが この証言をみて 納得しました。
 やはり 茨木童子は 祀られていたのです。
 茨木童子の祠 に関する 資料⇒

軽井沢茨木童子伝承  著者 佐藤秀治 氏

佐藤秀治 氏 著作、 『軽井沢茨木童子伝承』 によれば…
 茨木童子が軽井沢を後にした時に、「どうか、もう二度と帰ってこないで欲しい」という村民の願いを込めて建てられた…」
「…いつか 帰ってくるものと思っていたが帰らないので、その旅に出て行った日を童子の命日として、建てたもの…」
 と記述されています。
軽井沢茨木童子伝承 によると 茨木童子の祠が設置された 真意が上記の↑理由からだとするなら かなりショックな内容です。
しかしながら 平安時代、都で酒吞童子と大暴れをし、頼光四天王筆頭 渡辺綱 を敵に回していた 茨木童子は

1999年発行 軽井沢茨木童子伝承 55ページより引用

当時の政権からみれば……朝敵 もしくは其れに準ずるようなまさしく〝鬼”でしょうから 歌舞伎 芝居などでは 胸のすくような活躍をした 庶民の人気者 でも 出生地の体裁を保つために このような 祠をつくった 理由 が必要だったのではないでしょうか。
 茨木童子の祠に関する 資料⇒

 【引用】
2011年5月ころ の 茨木童子の祠 写真↓掲載されているブログURL↓
このときには ほこらに 簡易な屋根が確認できます。
「栃尾の地名」より 引用しております。画像はGoogle画像検索より。
2011年 当時の 茨木童子の祠
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