茨木童子の祠 に関する 貴重な証言(1940年 昭和14年ころは…)

茨木童子の祠 がたてられた理由は 一説では「茨木童子を忌み嫌うような…」考察があります。
しかし、そういった理由ですと…疑問におもふ点がでてきます。

◆厭忌などの そういった理由で わざわざ ほこら を作るのか?
◆茨木童子の祠は 小高い場所に設置されている(一言でいえば 良い場所)

茨木童子の祠 を管理している 地主さんに お話を聞きました。(2021年 9月9日)
いつ だれが どういう理由 で つくったのか? ということは 一切わからない という ことです。お話を伺うと同時に 茨木童子に関する資料をお借りすることができました。
  
  そのなかで興味深い文書がありました。
(※掲載許可をいただきましたので 掲載させていただきます)

文書  故 茨木政司 さん

「私のたから」という題名で 書かれた 一枚の印刷物。
其の他の文書から推察すると 2000年ころに 書かれたものです。
茨木政司さんは 茨木童子の祠を管理する 先代の地主さんでありました。

『今から千年前になります、
「丹羽国大江山にて有名な茨木童子」が わが家の祖先に当たります。

幼き頃より悪行を好み里人に忌み憎まれ、また酒吞童子と義兄弟を結んで丹羽国大江山(京都府)に立籠り、
都に出ては強盗を働き、 人を害し婦女を誘拐するので、勅命 を受けた源頼光らによって追討さ れたという物語となっています  が、
栄華の限りをむさぼる、当時の貴族社会の反発の行為であった と思っています。

今は童子の所持品などは火災により焼失して残っていませんが、
童子を祀った石祠が残されている事、六十年前の頃先々代が、訪れて来る人達に誇らしく話している 姿を見ると
、むしろ童子は善人で美男子で豪傑だったのでないかと 思っています。

わが家の小高い丘に、茨木童子 を祀ってある石祠を、家宝として 保存しています。
時々訪ずれてくる人たちのためにも資料の一つと して。』

2000年ころに撮られたと思われる茨木童子の祠

この短い文書に 重要な点があります。
六十年前の頃先々代が、訪れて来る人達に誇らしく話している 姿を見茨木童子 を祀ってある石祠を、家宝として 保存

この文書が書かれたのは 2000年… その60年前 ということは1940年 昭和14年。当時 子どもだった 茨木政司少年は 茨木童子の祠を見に来る人たちに 誇らしく話していた おじいちゃんをみつめていたのでしょう。
そして…時がたち…自分の代になって…あたりまえのように 茨木童子の祠を家宝 として守ってきたのでしょう。
…… おじいちゃん が… お父さんがそうしてきたように…。

 そうです やはり 茨木童子は 祀られていたのです。

越後 軽井沢 茨木童子の祠

鬼滅の刃 胡蝶カナエ 胡蝶しのぶ 栗花落カナヲ 伊之助にみる   想いをつなぐ 紡ぐ 事の大切さ

 “鬼”関連で 今、大人気のマンガ『鬼滅の刃』では 胡蝶カナエ 胡蝶しのぶ 栗花落カナヲ (つゆりかなを) (三姉妹とする人も多い)伊之助が 鬼の中でもずば抜けて強い、上弦の弐である童磨(どうま)を倒します。

 詳細には触れませんが… 胡蝶カナエ 胡蝶しのぶ 栗花落カナヲ の三姉妹と伊之助 が勝利を収めた最大の要因は「花の呼吸」でも「獣の呼吸」でもなく…作者が表紙に描いている⇒『想いを繋いだ』事。

想いを繋ぐ という強さ。

『鬼滅の刃』(きめつのやいば)吾峠呼世晴 氏 作品『週刊少年ジャンプ』(集英社)より引用
『鬼滅の刃』(きめつのやいば)吾峠呼世晴 氏 作品『週刊少年ジャンプ』(集英社)より引用
鬼滅の刃 第163話 吾峠呼世晴 氏 作品『週刊少年ジャンプ』(集英社)より引用
鬼滅の刃 第163話 吾峠呼世晴 氏 作品『週刊少年ジャンプ』(集英社)より引用
鬼滅の刃 第163話 吾峠呼世晴 氏 作品『週刊少年ジャンプ』(集英社)より引用
鬼滅の刃 第163話 吾峠呼世晴 氏 作品『週刊少年ジャンプ』(集英社)より引用

この鬼滅の刃 第163話をみて 感動して泣いてしまったのですが

改めて⇒「想いを繋ぐ」事の大切さ 強さ を再確認しました。

【鬼滅の刃では 想いを繋いで鬼を倒しました 越後の軽井沢では 想いを繋いで 紡いで茨木童子の里を盛り上げます】

昔は 「茨木童子の祠」 があり、「茨木童子の里と書かれた看板」があり、「おにぎり祭り」がありました。

 どうしてそれが無くなったのかと言えば 色々な要因はありますが 他のページでも触れておりますが『世帯減・高齢化・過疎化』でしょう。もう様々な事が管理できなくなりつつあります。

 では…どうやって 茨木童子の里 物語 を紡いで 想いを繋いで いったらいいのでしょうか…